12月復興カフェのまとめ
復興カフェ会場数:35箇所
延べ人数:約300人
テーマ1『福島の原発事故をどう思うか、自分達に何ができるのか。』
テーマ2『11月11日から1ヵ月間、どんなことを思いながら生活してきたか。』等
宮城県(南三陸町) 内田和芳さん
住民の方の話を聞いていくうちに、住民の絆や家族愛、何よりも人間の強さを感じられました。そして、このような話を聞いて被災者の体験談を地元に帰って伝えていくことがボランティアに来た人たちの使命だと僕は思います。
皆さん是非、実際にボランティアに来て地元の方と話してください。実際に触れ合い話を聞くことによってしか、わからない苦しみが伝わります。そして、人間の強さを知ることが出来ると思います。
この話し合いを通して原発の意識・知識が向上したのは間違いがなく、語り合いによりこの機会を得る事ができるのは、すばらしい事だと思います。
そして、原発の必要性を今一度考え、福島規模ではなく、全国規模でもなく、世界規模や未来への意識で考える必要がある思います。
今回の復興カフェで一番感じたことは、人の意見を聞き、原発や震災について、もう一度広い視野で見つめる事出来ることです。
その話し合いの場を作るだけで世界中に人のつながりが生まれ、それが被災地の復興につながるんじゃないかなって思います。
甘い考えですけど、僕はそう考えました。だから、自分の中で今日の出来事を終わらせず、共有・共感したことをいろんな人に共有して欲しいなって思います。

東京都 渡辺 達也さん
参加者の感想をまとめますと、やはりこういった会が月に1回あるといいということでした。
今日の参加者は(僕を除き)全員南三陸でボランティアをなさっていたのですが、東京に帰ってくるとやはり被災地のためにできることが限られてくるので、せめてこういった形で地震のことをしっかりと意識し考えたい、という意見もありました。
僕個人としても、ただでさえ忙殺されがちなこの東京で、人々の頭から震災を忘れさせないためには、こういった活動が必要だと思います。
石川県 宮竹 政廣さん
言える世の中がきっと来る。
大事な物の順番が変わった。
古い体質は、壊れて大きく変わっていく。
などたくさんの、きずきがありました。
あなた様に、全てのよきことが雪崩のごとく起きます。
ありがとうございます。
感謝しています。
愛しています。
長崎県 葉山 義浩さん
長崎でも開催することによって
実際に会場に足を運べない人でも
告知のメールやtwitter、facebookなどを目にすることによって
11日という日を意識するきっかけになると
信じて活動しています。
中には、会場には足を運べないけど
自宅でそのことをじっくり考えていきますとの
メールをいただいたりしてます。
感謝!!
埼玉県 山田 ひかりさん
今回初めてリーダーをしてみて、8人という少ない人数だったんですが、充実していたと思います。今まで友達とこんなに真面目に震災や原発のことを話したことがなかったので貴重な時間になりました。やっぱり多くの人が原発について忘れてる部分があったと話していて、私も実際に震災には関心があったけど、原発という問題に対してあまり意識を向けていなかったことに気付きました。
復興カフェを通して、私と逆の意見や色々な考えが聞けて本当によかったです!
それから、リーダーとかはたくさんの人と協力してやらないと人は集まらないし、回を重ねるにつれて同じ人ばかりになってしまうなーとも実感しました。

新潟県坂井奈穂子さん
原発に近い地域の子どもたちは灰色がかった青白い顔色で、あまり外出させてもらえないため元気がなく、ストレスにさらされていると。
また、不安そうな母親の顔色を伺っているようだと。
Mさんの願いは、一時でいいので汚染濃度の高い地域を離れる時間を作ってほしいと。
だけど、離れたくても離れられない事情のお母さんからは
「逃げれるならとっくに逃げてる!危険だとか、子どもたちのことを想うならとか、言いたいことは充分わかってる!わかってるけどどうしようもないの!だからこれ以上その優しさで私たちを傷つけないで!責めないで!もう言わないで!」
そんなことを何人にも言われているそうです。
福島のお母さんは、放射能がどれくらい怖いか、痛いほどわかってる。
残ると決めた人たちにできるせめての支援をと、果物や野菜を届けている。
避難して来てる人たちへの支援はできますが、残ると決めた人たちへの支援…。
私たちも身近に刈羽原発をもつ身です。
同じことが起こったら、
どうしたいだろう?
どうしてほしいだろう?
そんな話も、「逃げたい」「やっぱり残りたい」に分かれました。
なかなか、答えは出ませんでした。
また、今後の課題になると想います。
福島県 紺野禎子さん
子供たちを預かっている小学校の教師。南相馬市はただ1校を除いて高台に学校があったおかげで難を逃れ、津波にのまれた1校も先生の誘導で高台に避難。
学校に残った子供たちが全員助かった事は本当に良かった。でも、学校が再開され始めた今、その4分の1程度の子供しか地元にはいないとの事。
目に見えない放射能の恐怖の中で子供たちを育てる事が出来ないのは当然です。
色々な事情で移住することが出来ない人達も定期的に体内の線量を測りながらの生活です。
また、被爆した介護施設からの受け入れをした介護施設勤務の友人。その運ばれて来た入居者に誰も近寄ろうとしなかったそうです。ズボンも履いていないお年寄りなのに・・・
自分が世話をしなければ・・・その覚悟を決めて施設に戻った時、二度と家族と会えない。そう覚悟して戻って来たと言います。
誰もが同じことを言います。
「津波だけだったら・・・」
津波の被害で苦しんでる方達にとっては「ふざけるな」と言いたくなる言葉かもしれませんが、二重の被害にあった方達の気持ちを想えば理解出来ます。
浜通り地方でも、津波の被害を受けていない沿岸部以外の住民は皆元気。
でも「頑張ろう」っていう気持ちが湧いてこない。
人々を助ける為の義捐金。それが逆に働く意欲をなくさせてしまった現実。
働き手がいない為に、スーパーやコンビニ、大型家電店など再開出来ない。
どんどん町は廃れて行きます。悪循環です。
今、私が願うのはそれでも負けないで欲しいです。一人一人が前を向いて欲しいです。笑顔でいて欲しいです。
多くの友人がいる福島県。震災後、自分達も大変なのに心配してくれた友人達のメールや電話にとても励まされました。
自分はその友人達が住む町に、友人達に何をしてあげられるんだろう・・・
まだまだ先が見えない福島県ですが、友情という「絆」でこれから出来る事を探して行こうと感じました。

宮城県(南三陸町) 成田達也さん
全国で福興カフェが開催され、ここ南三陸町でも福興カフェが開催されました。
地震や津波で多くの方が亡くなら、大好きな街が破壊され、言葉にすることができない光景が広がっています。
友人や知人、そして家族を亡くされた遺族にとって、この9か月をどんな思いで過ごしていたのか。そしてこれからの南三陸町の復興を進めるにはどうしたらよいのかという不安、様々な想い入り交えながら、前を進んでいくことでしょう。
原発に関しても賛否両論があると思いますが、私たち自らの行動次第で今後のカギをにぎるかもしれません。
しかし、一番大事なことは、自然やエネルギーをどうやってうまく向き合うべきか、福興を通じて、東北を中心に起きた震災を忘れないようにする責務があるのではないでしょうか。

栃木県 日下田 すみれさん
12月11日は、3月11日を久々にじっくり思い出しました。
5歳だった長女は幼稚園。3歳だった長男はお友だちの家。わたしと6ヶ月だった次男は、友だちの車に乗っていました。
当時、埼玉の三郷にいたのですが、友だちはハンドルが効かずおかしいと思い車を止めました。
嘘みたいに周りの電柱や地面が揺れていて…
電話も全く通じず…
ありがたいことに、家族みんな元気に会うことができました。
12月11日。こどもらは、怖かったよね。すごく揺れたよね。先生や、お友だちのママが守ってくれた。と話していました。
今は前と同じように生活できてありがたいね、というと、そうだね、みんな?と。
まだあの時の地震や津波で大きな被害のあった所では、前みたいに生活できない人達もたくさんいるんだよ、と話すと、早く元に戻るとうれしいね。どうすればいいのかな?と。
小さなこども達も、地震の後は少しの間、胸の痛みが出たり、お腹が痛くなったりしたことを思い出しました。
時間の経過と共に、それもなくなり…
小さな心は、色んな事を思ったんだろうなと。
被災地の方々のからだや心に受けたキズが癒えるまで、何かし続けたいと思いました。
神奈川県 木戸 冬彦さん
個人として、どのように復興支援をできるかについて話しました。(福島のことは1月にやります)
・復興牡蠣(牡蠣の養殖に、先に1万円投資して、数年後でも牡蠣ができたときに送付される)のシステムに投資
・仮設からいずれ出ていく人たちのために今のうちに家具や家電などを集めておく
・銀行口座を城南信用金庫に変更する
・個人として支援するのは非常に難しい。何をしたらいいかわからない。
・11月11日から、何も考えていなかった。忙しさを理由にしていた。
・無意識的に関心が薄れている。

富山県 宮舟 貴子さん
◎シェアタイムでは、「震災・復興への思い」をテーマに話し合いました。
※今回の頂いたテーマは取り上げませんでした。
冒頭に震災復興をからめたテーマで真国寺ご住職よりお話を頂きました。
ご住職の話から上記テーマでシェアタイムを進めました。
◎シェアタイムで話し合われた事柄
・今回の震災で「本当に大事なものは何か」を考える機会になった。
・震災で普段見えなかったものが見えてきた感じがする。
・震災直後は富山からも乾電池が無くなったり水が店頭から消えたりして大変さを実感した。
・震災以降、被災された方やそれを支援している方々のがんばる姿を目にして、「自分も少しづつ変わりたい」という気持ちが芽生え、前回、今回と参加してみた。
・被災されてもなお地域の復興のために行動する方々の笑顔が素晴らしい。
・震災すら必然として受け入れ、そこから学ぼう、変わろうという姿勢に感銘を受けた。
・震災直後はそのことばかりを考えていたが9ヶ月経過し徐々に考えなくなっていた。
そんなタイミングで今回のカフェがあってとてもよかった。
・何とかしたいと思っていても個人の力はとても小さい。でも小さいことの積み重ねだと思って大好きな歌手のチャリティーつきCDを購入している。
・学校の文化祭でレインボーフラッグを提案した。クラスのみんなが協力してくれとてもうれしかった。

京都府 藤田 実可子さん
今回のテーマが福島の原発ということで少し難しかったです。
今そこで働いている人たちにとっては稼ぐためにもいるものなのかもしれませんが、 私たちの中では原発はいらないのではないかということになりました。現在日本にある原子力発電所はほとんど停止されており使われていないけれども私たちは普通に過ごしています。ということはなくてもいいのではないか、他のもので補えるのではないかと考えました。そして、もしそれが無理だとしても将来の子供たちのことを考えたら、今電気が使えなくてろうそく1本で過ごせと言われたとしてもそれで将来子供たちが安全になるのならそれでもいい。とおっしゃった方もおられました。
今後、学校教育にこの問題を取り入れるべきである。そして原発においてわかっていることはもっとあるはずであるからそれを全て公表するべきであるという話がでました。

山口県 鍵谷 翔子さん
今回のテーマは原発ということで、興味関心がない方にとっては少し難しくとっつきにくいと感じられるか不安でした。
でもせっかく参加しくれた方には色んなものを吸収してほしかったので、シェアリングをする前に原発に関する知識クイズを出したり、原発に関してされていない報道などの恐ろしさをプレゼンさせていただきました。それによって参加者全員が興味を持ってシェアリングしてくれました。
福興カフェが終わった後参加者の方からたくさんメールが来て、
「復興への道を開いてくれてありがとう」
「この会に参加したことで多くの人に出会えて、今とても充実しています」
「この会をきっかけに若い私たちが自ら動かなければならないと強く感じました」
など、嬉しく心強いコメントをたくさんいただきました。
また、今回のテーマの原発ということで私自身かなり勉強したり、色んな講演に参加したりして知識を得ました。
テーマが原発ではなかったら、こんなに行動を起こさなかったし、こんなに素敵な出会いもなかったでしょう。

香川県 三好 東曜さん
・政治が重要な事を決めるので、有力な候補をたてて
参政していく必要がある。しかし、今の制度は現職に有利で
とても資金力の無い新人が参政しづらい状況である。
・もう政治は放っておいて、自分たち独自で経済が回る
コミュニティを作り上げる事が大切ではないか。
・脱原発を訴える映画の上映会をしてはどうか
(上映会をする時にどういった人をターゲットとするか。
近い人に訴える努力を忘れない。誘うときも自分が福島の人たちの代表だと思い
話す練習として誘う。かえるちゃんカフェで毎日違う映画を上映。上映権の
問題はどうなるのだろうか。ビデオ上映ではだめだろうか。等)
・毎月サウンドデモを行う件について
・事態は緊急を要するので、今もっと出来る事があるのではないか。
まとめ
結局、原発を止める事が最初のステップ。まず、原発を止めなくては
それと同時に児童の疎開、移住、コミュニティ作り、政治的アプローチ
、自然エネルギーへの移行を同時進行で進めなくては行けない。
ここで話した事を話しただけで終わりにするのでは無く、
具体的なアクションまで落とし込む必要があると感じます。
イマジンからイマジン&アクションへ
行動しまくらないと何も変わらない、
未来に自分の子供たちに、「お父さん、あのとき何をしてたの?」
と聞かれて、もっとこうしておけば良かったと
後悔しないように、精一杯やろうと思いました。
革新的な技術もいつもベンチャー起業の中から
生まれます。
どうせなら、嬉しい、楽しい、ポジティブな意味付けを。
この事故、この震災、この時代に感謝して前に進みたいですね。

佐賀県 中尾 久美子さん
今回、この復興カフェを通して改めて、被災地のことを考え、これから私たちができる事何かと話し合い考えあうことができました。
原発事故については、私たちが住む佐賀も原発とは身近な環境にあるということで、今回の事故が私たちにとってとても深く考えさせられる問題であると感じました。
原爆を唯一経験している日本が、なぜ原子力エネルギーに頼ってしまったのか、原子力発電の情報、知識が政治的なことでしっかりと市民に伝わっていなかったのではないか。私たち自身が、原子力に対する知識や認識が薄かったことに、この原発事故を通して思い知らされたように思います。
原発事故によって、福島はあらゆる被害とともに風評被害も受けていること。津波だけでなく、原発事故によって被災地の方たちは故郷を手放さなければならなくなったことを思うと、居た堪れない気持ちになります。今こそ、原発の必要性をもう一度考えていくときであると思います。
現実的に今すぐに原子力を廃止するのは難しいですが、原発に頼らない生活に近づけるためにも消費電力の減少(節電)が、まず私たちが取り組めることと思い、心がけた生活をしていくことを今回家族で決めました。
そして、この3.11のことを風化させないためにも、被災地に行った一人である私自身が、被災地で目にしたこと、感じたこと、知ったことを一人でも多くの人に伝え、復興や支援の輪につなげられるよう頑張ります。

長崎県 葉山 義浩さん
長崎でも開催することによって
実際に会場に足を運べない人でも
告知のメールやtwitter、facebookなどを目にすることによって
11日という日を意識するきっかけになると
信じて活動しています。
中には、会場には足を運べないけど
自宅でそのことをじっくり考えていきますとの
メールをいただいたりしてます。
感謝!!
アメリカ(サンフランシスコ) 日野洋子さん
19歳のあなたが、被災地のこどもたちや大人の方々の中で、リーダーシップを発揮して輝いているすがた、すばらしいです。あなたのような方がこれからの日本を支えていってくださるとおもうと心強いです。
1.福島の原発について
まず、原発にたよらなくてもいいように、電気の使い方など、自分の生活をみなおす。
バングラデシュの砒素問題のように、NGOの活動がもっと必要。(友人はバングラに海外青年協力隊に行っていた経験あり)
2.3月11日のこと。
信じられない、現実でないように感じた。
3.11月の復興カフェをしてみて。
日本人なら、なんらかの重たさを3月11日以降かかえている。それをわかちあう場所が必要だったということがわかった。