11月復興カフェのまとめ
復興カフェ会場数:91箇所
延べ人数:約800人
テーマ1『3月11日はどこで何をして、どう思ったか。』
テーマ2『今どう思っているか、何ができるか?』
福島県 紺野禎子さん
皆で頑張ろうと思っても、地元に戻れない。家があるのに帰れない。
何処で何をどうやっていいのかわからないと。
その反対に出て行きたくても、仕事の都合、家の事情で出て行きたくても行けない人も沢山います。
二度と戻れないのだから皆出て行けと言われたほうがまだ先に進めると。
今、残っている子供たちの検査で、大きな影響はいけれど内部被ばくしている子供が沢山出ているそうです。定期検査を受けるようにと言われているって。
親としてこれほど切ない事はないですよね。
原発事故の被災者の方たちにとっては11日より強制避難を伝えられた12日の方が自分たちにとっては本当の震災だとも言っていました。
まだまだ先に進めないでいる人たちも沢山いることを考えなければいけないと感じさせられました。
青森県 塚本 江莉奈さん
南三陸には私の専門学校時代の友達が住んでいました。
震災後ずっと心配で連絡しても返事が来ず…
いったいどうなったんだろうって思っていました。
後日やっと友達から連絡がきて話を聞くと家が流されたと…
それでも笑顔で電話をしている友達。
胸がぎゅ~っとなりました。
後で知った事ですが、お母さんは津波で遺体として発見されたと…
その様な方々がたくさんいらっしゃると思うと、本当に今回の津波の残酷さを身に染みました。
それでも、私の友達のように笑顔で頑張っている方もいると思うと
私も頑張ろうと思えます。
山形県 漆山 由美さん
今回、この企画に参加させて頂き、全国にはたくさんの温かい気持ちの人がいっぱいいるんだなって実感しました。
山形ということで、お隣の県なので、震災直後から何か自分に出来ること…
という思いで、動かせてもらっていました。
ちょうど、ボランティアカットで南三陸の歌津地区に行った経緯もあった為、フラッグには、あの時カットしながらお話させてもらったみなさんの顔を思い浮かべながら、取り組みました。
フラッグに書いて頂いた方達も、快く、南三陸に虹がかかるんだよ~という希望を祈りながらの寄せ書きを頂きました。
復興カフェも、6人という少ない人数ではありましたが、この人数だからこそ話すことが出来た内容だったと思います。
この震災は、忘れません。忘れるどころか、私も伝える一人になりたいです。
ありがとうございました。
茨城県 外山 さやかさん
福興カフェでは主催者側に立ったことで、改めて震災や津波の被害、被災地の方が置かれている状況に目を向けることになり
認識を大きく改めました。想像するだけで自分も苦しくなってしまいそうなことですが、確かに存在する忘れてはいけない場所や人々。
たった10分の間に世界を激変させてしまった自然の力。また日本中のどこで起こってもおかしくないできごとでもあります。
被災地の景色があたたかいものに変わるまで、道のりは厳しいかもしれませんが、不安や不満や恐ればかりに力を与えず、
希望を持って、みんなも、自分も幸せな世界にしていくためにできることからどんどん進めていけたらと思います。
そしてそんな力を呼び起こすチカラを持ったこのプロジェクトに関わることができて本当にうれしいです。
ありがとうございました。
群馬県 島崎 芽衣さん
群馬の担当は私一人で、どうしたらいいんだろう。と悩むこともありました。
復興カフェでなかなか場所が決まらず、泣きながら交渉したこともありました。
私一人じゃどうしようもなくて…困って落ち込んでました。そんなときに助けてくれた人達がいます。
その人達が一緒に作り上げてくれたおかげで群馬のホープシェアリングは大成功しました。
この活動をしていなければ こんなに人の暖かさ、優しさ、ありがとうの気持ちを思うことはなかったんじゃないかと思います。
たくさんの出会い、人との繋がり、絆、これからもいろいろなことに感謝をしていきたいと感じました。
本当にありがとうございました。
神奈川県 木戸 冬彦さん
このような活動がどんどん広まっていけばいいと思います。
メッセージ集めや復興カフェの活動の中で出会った人たちや、他のリーダーさんたちのメールを通じて、すごくいい刺激を頂きました。
もちろん被災地の方々への刺激にもなっていると思いますし、被災地以外の多くの方の刺激にもなっていると思います。ありがとうございます。
メッセージ集めの際に感じましたが、興味はあっても一歩を踏み出せない人がたくさんいるのではないかと思います。
そのような方たちにも少しでも広まってくれたら、どんどん幸せの輪が広がっていくと思います。
千葉県 溝井泉美さん
私たちは忘れない…
3月11日の自分を振り返ることで、もっと自分も何かをしたい、と感じたと言う人もいて、共に一歩づつ進んでいこうという意識が高まったと思います。
そして今日かぎりではなく、大切なのはここからだと感じました。現地で聞いた、何よりも忘れ去られてしまうことが辛いという言葉。
私はボランティアへ行った際に聞いた現地の方の話が忘れられません。「あるご老人が仮設住宅に移った後、姿を見かけない。どこにいるのかと思ったら、それまでいた避難所だった。
たとえ仮設に移れても狭い空間に一人は寂しい。それなら皆で過していた避難所の方がよかった…」
衝撃でした。テレビでは仮設住宅ができてよかった、ということしか伝わらず、それで完結していました。私も話を聞くまではそう思っていました。
しかし現地の人々はこれからもここで生きていくんです。未来があるのです。
出来たからおしまい、ではなくてこれからの事も共に考え共に生きていく。その為の福興カフェだと改めて感じました。
一度現状を見ている人等はこの言葉の重みをより実感していると思いますが、TV等でしか情報を見られない人にとってはやはりどこか遠い話のようにも感じるのではないでしょうか。(ボランティアへ行く前の私がそうでした。)
そういった人達に話を伝えることでより身近に感じ、考えるきっかけとなる場の1つとしてこれからも福興カフェを開催していきたいと思いました。
東京都 柳葉 志穂さん
今回の福興カフェでは、16人中10人がUEで活動したことがある人でした。
“ボランティアに参加したことがないけど被災地のことについて知りたい”とか“現地には行きたいけれどいろいろな事情で行けない”という方などに本当はもっと来ていただいてシェアリングできたらなと思っていましたが、なかなか人を集めることができませんでした。
シェアリングの内容にあった“いま何ができるか”については、はっきりとした答えはでませんでしたが、それでもやはりこうして東北についていろんな人とシェアリングをしていける場というのは必要だと思いました。
また、一人ひとりの力は小さくても、みんなの想いや行動がひとつになれば、とても大きな力になるのだということを、今回のプロジェクトを通して実感しました。
石川県 宮竹 政廣さん
・7か月だからこそできることもある。
すべての人が同じ行動(被災地に行く)をすると社会はおかしくなる。
いろんな行動があるからこそよい。
金沢だからこそできることもある。
経済を動かす役割もある。
・震災前に「日本という国はダメになるだろう」と思っていた。
若い人々の目も目標を失っているようだった。
震災が起きた時に「日本って、もう一回復活できるかも」と感じた。
5月に被災地に行って「もう立ち直ったな」と感じてしまった。
人間って、どんな状況からでも立ち直れると思った。
若い人がすごく頑張っているのを見て「若い人もすごいんだ」と感じた。
・私も被災地に行って色々と感じたことがあった。
みんなに行ってほしいと思うけれど、その方たちの環境もある。
私自身、行けた環境に感謝したい。
・復興ではなく再興だ。
ゼロから作っていかなくてはいけない。
「何かしたい」と思いながら現地に行くと「何もできない自分」がいた。
富山県 宮舟 貴子さん
シェアタイムでは、ご親戚に被災地の方がいらっしゃるとのお話も聞けました。あのとき
感じたことを思い出し、共有し合うことで震災のことが再び近いところで思えるようになりました。
また、何が出来るのか?そのときは、答えを出せずもどかしさを感じていたのですが日を追うごとに身近に何かをしている方がたくさんいることに気づけたり、クリスマスプレゼントのお菓子を贈ろうなどアイディアも出てきたりしています。
1回目の福興カフェから次への展開が生まれてきたこと、3月には少し大きな形でやりたいとも思っています。
また、終わってから日を追うごとに次は参加したいと賛同してくださる方も出てきました。
こうやって被災地の方へ何か出来る可能が生まれ、同じように全国でもそれぞれ形になりだしたとき、東日本の被災地を救う大きな力になるはずです。
福井県 小川 真也さん
教師としての使命感を確認し合い、月曜日から、本業である生徒に伝えるということについて、具体的にどのように語るか、教師としての今後の取るべき具体的行動とは何か、などを話し合いました。
今後も目の前の自分の持ち場に全力投球していきます。頑張りましょう!
今回は職場の同僚だけの開催となりましたが、20名が集まってくれました。現地で活動をさせていただいた体験談をお話させていただいたり、教師としての生徒に伝えるべき使命感を共有し、早速全校で集会を開きました。
大切なのは、今後どれだけ細く長く続けていくかということです。
長野県 清水 かほりさん
参加者もバラエティーに富んでいました。
整体師、ヨガのインストラクター、水道施設工事業の代表取締役、野生肉料理の専門家、パティシエ、中学校の先生、農家、システムエンジニアなど、様々な職業の方が参加してくれました。
参加者のうち約半数が、支援のために被災地に出向いたことがあるそうで、驚きました。
「とにかく何かをやらずにはいられなかった」
と、何人かの人が口を揃えて言っていました。
もう一度、震災について考えるという意味で、とてもよいきっかけになったと思います。
あまり知られていませんが、東日本大震災の翌日である3月12日、長野県栄村では三回にわたり、震度6の地震に見舞われました。
死者が一人にも出なかったため、あまり報道されていませんが、全壊や半壊の住宅があり、今も仮設住宅で暮らしている人がいます。
どこかの回で、栄村をフォーカスして話し合いたいと思っています。
大変、貴重な経験をさせていただきました。
京都都 藤田 実可子さん
山口県 鍵谷 翔子さん
山口は上関原発計画の問題もあり、かなり話が難しい方向に発展しているグループもありました。
また私の大学の震災復興プロジェクトに関わっている教授が4人参加してくれて、経済的な面からも問題点について議論できました。
皆さんにアンケートを記入してもらうと、
「非常に良い機会」
「意識が高まった」
「次回までに勉強と経験を積んで、また参加したい」
という言葉をたくさんいただき、感無量です・・・
島根県 三成 裕之さん
被災地の学校へ冊子を送る活動や島根県に避難されている方々の生活支援の発表などがありお互いの活動を支援しあえる話し合いができたのではないかと思います。
個人的には震災後、本当に沢山の方々とのご縁を頂いてます今回も沢山のご縁がありました。
皆さん本当に温かく素敵な方ばかりで今回の活動も全国各地で協力して下さいました。
人と人とを繋ぎ助け愛の心を深めるフラッグだったなぁと沢山の感動を頂きました。
今後も沢山のご縁を頂きご縁とご縁を繋ぎ、今できることを伝えていきます。
愛媛県 飯田 衣美さん
① 311の時にどこで何をして、どう思ったか。
・仕事中で地震には、気付かなかったがニュースで地震を知り思わず「逃げて」と叫んでいた。
・学校から帰ると地震のニュースが怖かった(小5)
・北海道では感じなかった。後で知ってびっくりした。
・地震の知らせを聞いて東北の友人や親戚の安否が心配だった。連絡が取れた時は思わず安堵した。
・信じられなかった。など・・・
② 今はどう思っているか。何が出来るか。
・震災から8ヶ月経ってもなかなか進まない瓦礫処理や原発問題が早く終息してほしい。
・東北の冬の寒さは、厳しいだろうから大丈夫だろうか。
・福興市の開催に元気をもらった。
・今、どんな支援が必要なのか。
・亡くなった方の死を無駄にしないためにも、自分たちが出来る防災はなんだろう。
・震災直後は、日本全体が揺らいでいたが、今は風化が進んでいないか。
・「忘れない」事の大切さ・・・など
香川県 三好 東曜さん
放射能の汚染が今も続いているので、とても複雑でした。正直、皆様の健康が心配です。
復興と言っても人それぞれ使っている意味は違うと思うのですが、なにを持って復興とするのかを話し合わなければ始まらないと感じました。
鹿児島県 小宮 里緒さん
アメリカ(テネシー) 田中 みさきさん
震災直後、私はどうしようもないほど落ち込みました。
外から見てるだけでえいが?自分に何が出来る?って真剣に考えました。
スカイプで余震が続く東京のリスニング仲間と話したり(カメラで余震を見ました)、同じように落ち込んだYちゃんとお茶して心が落ちついたり。
「そうや!同じ気持ちの人はおるはず!お茶会しませんか?と呼びかけてみよう!」
自分の感じてる気持ちを、アメリカで知り合った日本人全員にメールで伝えてみました。
「私も同じ気持ちです!何かしたいです!」と数人から連絡が来てお茶会をしました。
一番に電話をくれたRちゃん(ご両親が被災地出身)は、なんと一人で日本食レストランに募金箱を設置するという行動をしていました。
オーストラリア(ゴールドコースト) 光本 純子さん
東北震災の方々にお手伝いをしたいが、募金を集めることのほかに何をしたらいいのか分からない。
震災を機に様々な問題が出てきたが、その問題別に復興状況、解決状況を把握する全体図のようなものが欲しい。
日本のマスコミや東電や日本政府が事実を隠蔽するような態度が続いたために心から、日本に頑張って欲しい! 何がなんでも応援する!
という純粋な気持ちが、遠ざかってしまった気がする。
震災被災者に一日でも早くもとの生活に戻って頂けるよう応援する気持ちは今も同じ。
その気持ちや応援がダイレクトに届くようなしくみが欲しい!
バハマ(ナッソー) 辻 清香さん
カリブ海の島国、バハマの首都ナッソーに暮らして4年目になるさやかです。
9月と10月に南三陸町でのユナイテッドアースの活動に参加したことが、今回の復興カフェに関わったきっかけとなりました。
私はあの3月11日の出来事をここバハマで知りました。
今はインターネット等を通して、日本に関する情報はかなり手に入りますが、そのことが私にとっては余計に日本で起きていることをこの目で見たい、肌で感じたいというもどかしさに
なりました。
そんな思いをかかえながら私はようやく夏に帰国することができました。
絆レインボーフラッグと復興カフェの企画を知り、“海外でも復興カフェを!”という話を最初に聞いた時、私は自分が日本に帰る前に感じていた『現状を知りたい』『何かできること
はないか』という思いを今も抱いている人(特に日本人)がバハマにもいるのではないだろうかと思いました。
バハマは日本から遠く、なかなか頻繁には日本に帰ることができません。
また、こちらに住む日本人も少なく、みんなで情報や思いを共有し合う機会も少ないのです。
被災地のために、そこに暮らす方々のために、遠くに暮らす私達には何ができるのかということまで話はおよびましたが、今回は答えが出ませんでした。
しかし、これからもその答えを探していこう、という形で今回の会は終了し、被災地やそこで暮らす方々を忘れないという思いを共有できたと感じました。
私の周りの日本人は遠く離れていてもみんな心の根っこは日本にあり、日本が大好きです。
それなのに何もできない、これから日本はどうなっていくんだろう?という気持ちを多くの人が持っています。
そんな中で南三陸町で少しですがお手伝いさせていただいた私が、遠くから被災地や日本のことを思っているというこちらからの思いと、まだまだ厳しい状況が続いてるけれども一歩一
歩前に進んでいっているという被災地からの思いを繋げていくことができれば、と考えています。
南アフリカ 礒谷 千恵さん
東北地方の全ての方にお見舞い申し上げます。
皆様の生活が元に戻り、日本が復興するよう心よりお祈りいたします。
「トンネルの終わりには必ず光が見える」
皆様に神のお恵みがありますように。
インド(バンガロール)
宮城や福島で起こったことは、日本の方にとって大惨事だったことと思います。私たちは日本での自然の猛威に気付き、衝撃を受けました。
私たちは日本の被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。
私たちインド人は、被災者の方が早く立ち直るため、また亡くなった方が安らかに眠るために十分な力を与えてくださるよう、神に祈ります。